過去はどうにもできない
おはよう ならちゃんです。
潜在意識の世界を日々の出来事を通して探求しています。
試してみたこと、読んだ本、その結果などご紹介します。
過去はどうにもできない
そんなことは当たり前なのに、過去の自分にとらわれ、未来を思い憂う
聞くと「そうそう」と思うんだけど
これは何とも奥深く、根深い
『今を生きる』という状態がいかに難しいのか
過去にとらわれている自分、未来を憂う自分に気づくたびに難しいと感じる
でもやっぱり、今を生きていないのだなと気づくことから始まる
そして、私には気づくためのもう一つ前があった
とことん過去と向き合うことだった
「こころのブロック」という表現を使うことがある
「こころのブロック」を見つける過去の旅は必ずしも必要はないと思っている
ただ私がまず始めたのが「こころのブロック」を見つけて外すことだったので
その効果のほどは体感済みだ
効果絶大と言っても過言ではない
だから「こころのブロック」を見つけることは楽しいという感覚が今はある
人にそれを勧めたり、その人の「こころのブロック」を指摘すると、まあそれこそブロックなわけですから拒絶がおこるわけで、
スルーならまだいいんだけど、時としてムッとする、怒り出すこともある
ブロックと表現される意味がよくわかる
無理か・・・
今じゃないのか・・・
でも辛そうに見えるんだけどな・・・
これ外すと楽になるよ・・・
かつて自分がそうであった姿を見るにつけ、おせっかい心が発動し、結局自分に返ってきて、私、残念ってなことになるわけで
「こころのブロック」とは、つまりは、トラウマみたいな感じで記憶にあり、あの時のことが今の私にこんな影響を与えているんだ、とすぐに思い当たることもあれば、記憶の奥底に沈めてしまっていることもある。
この沈めてしまっているものの方が圧倒的に多く、そして傷も深かったりする。
その傷の内容がえぐいというわけではなく、今、その出来事を思い出し振り返ってみると、なんでそんなことに傷ついちゃったんだ?ということも多いのだが、深い場所に沈めてしまうほどその時は傷ついちゃったわけです。
どちらにしても人間の本能の防衛反応が起き、これ以上傷つかないように忘れるということにした。
だからそれを思い出すという作業は、まあつらい。
痛いところに貼った絆創膏をはがす作業だと表現していたことがある。
傷も浅ければ、そんなに痛くもないし、はがしてみようと思うものだが
深ければ、はがす勇気もいるし、いざ、はがしてみると痛い、とにかく痛い
まだ、ぐじゅぐじゅの傷で、見た自分も泣きそうになる。
治るとは到底思えないし、泣きそうというよりは号泣することしばしば・・・
そうやって「こころのブロック」外しを何年もやってきたので、今は見つけるとなるほど!と研究心が発動する程度になっているから、絆創膏をはがすと、あら、もう治りかけてるわとか、前にはがした傷だった、治ってるよしよしみたいな感じ。
もちろん「こころのブロック」外しはお奨めだけど、この方法はお奨めしない。
何年もよく頑張ってきたなと感心するしやってきてよかったと思っているけど、時間もかかるしつらい体験もしたから
今の私がおすすめの方法は
『辛いからどうにかしたい!』『どうにかして!』で見つけるブロックではなく
『せっかく生きとるんじゃ、HAPPYがいい!』
ここから見つける「こころのブロック」は、目的意識が明確であればあるほど、さっさと癒されていく。
なんだそういうことか!
ありがとう!思わず言っちゃたよ
目からうろことれた!みたいな感じ。
これよさそうと思ったでしょ。
いいんですよ。
続きはまた今度